日本トイレ協会メンテナンス研究会公式HP

報告レポート(129回)





2009年 3月16日(月) 15:00〜18:00
会場:INAX銀座ショールーム
(東京都中央区京橋)
(株)INAXのHP:http://www.inax.co.jp




「私とトイレ人生」

講師:
(株)INAX
営業本部営業部顧問 桂 真人 氏



 今回は、(株)INAXのトイレ開発の草分け的存在であり、「日本トイレ協会副会長」「メンテナンス研究会幹事」としてご活躍頂きました桂真人さん(営業本部営業部 顧問)が、今春で引退されることになったので、これまでのトイレ人生にお話頂きました。思わず噴き出してしまうエピソードに、会場中が釘付けになりました。



1、トイレとの出会い

 私が入社したのは、1969年(昭和44年)で、それからの40年間は、ほとんどトイレの担当者として過ごして参りました。入社時は衛生陶器の工場に着任し、入社早々高温多湿の成形作業場で実習をしていました。鋳込み作業では、泥を頭からかぶることもありました。その後、アフターサービスの担当者となり、北海道から静岡までたった一人で走り回っては、故障の対応に追われていました。

 そんな私の仕事道具といえば、セルロイド板(補強用)・ゴム版・シールテープ、曲げドライバー(狭いトイレ空間で使えるように独自にドライバーを90度に曲げて利用)・耐水ペーパー・荷札・5円玉・小型ハンマー…という具合で、荷札にいたってはそれについている細い針金がトイレのフラッシュバルブの小孔掃除に入る唯一の細さだったので、代用していました。当時はメンテナンス専用の道具が無かったので、自分で代用品を探したものです。ある便器詰まりの現場では、「お前の会社が悪い」と一方的にお叱り頂きましたが、30cmほどの棒付き鏡で便器の内部を見て原因を確認した私は、その場で便器を叩き割り、「下着は流れませんよね」とお客様にご覧頂いた事さえありました。

 著名人のご自宅にも訪問したこともありました。ある宗教の教祖様にいたっては、当社の温水洗浄便座(シャワートイレ)がたいそうお気に召したそうで、海外旅行にまで持参し、海外では日本製品の電気が簡単につながらないので、わざわざ電気工をお供につれて設置させたというエピソードを聞いたこともありました。そうかと思えば、あるご婦人のお宅の器具の調整中に、出前の御寿司を、トイレでご馳走になりながら作業をした事もありました。トイレマンとしての良い思い出です。


2、トイレ機器の開発、そしてシャワートイレ誕生の礎に…

 その後、本社(愛知県常滑市)に復帰し、いろいろなトイレの開発に関わりました。例えば心身障害者(心と身体に障害のある方)のトイレを作りました。こういう方はトイレにいろいろ物を詰まらせてしまうケースがあるので、便器を外さずに詰まりを除去できるように、掃除口(空ければ便器下につながる穴)をつけた便器を作りました。それから洗浄水が5リットルで済む「カスカディーナ」を昭和49年に発売しました。これは今で言うところの節水便器の原点で、スウェーデンから輸入した5リットル便器を改良し一体型として誕生させました。

 そしてもっとも画期的だったのは、「シャワートイレ(温水洗浄便座)」の開発です。70年台にプロジェクトチームを作り、シャワーの水量や角度、温度の実験を繰り返しました。洗浄水の温度を決める実験では、自らのお尻を使い、どの温度までお尻が耐えられるかを試したものです(結局、43度が限界だと「体感」しました……)。その後、商品名を決める合宿を行い、「シャワートイレ」と命名しました(編者注:これはTOTO社の「ウォシュレット」より早く世に誕生したそうです)。しかし当時はなかなか理解が得られず、無料設置キャンペーンを実施し、利用者から「そのまま買い取りたい」と言われるようになって、やっと商品の普及が広まった時代でした。


3、ビル用トイレ・屋外トイレの開発に関わる

 1985年ごろになると、世の中はバブル経済真っ只中でした。INAXは当時の社名の「伊奈製陶」から今の「INAX」に変更し、「第三空間」というコンセプトで、それまでの汚い公衆便所のイメージを一新するパブリックトイレの見直しをし始めました。またシステムトイレ(天井材・照明・鏡・ブース等まで含むトイレ一式をセットし、簡単に施工できるトイレのこと)を開発し、トイレの施工を簡潔化することに成功しました。それ以外にも、アーバントイレ開発・オフィストイレの女性トイレ改善(タイルパネルを使うトイレ)・JR大阪駅ビルのトイレなど数多くのトイレを手がけました。特に印象的だったのは部屋ごと耐震できるシステムトイレを神戸の三宮ターミナルビルに採用していただいたのですが、95年に阪神淡路大震災が起こり、ビル本体が壊れたのにトイレは無事だったことです。

 またいろんな施工現場に関わるたびに、新しい挑戦をしました。例えば東京都庁では男性の小便の跳ね垂れを受け止めるようなリップの長い小便器を開発。大阪の梅田センタービルではオフィス流し・脱臭トイレ・アクリル板パネルを設置しました。関西国際空港では脱臭と抗菌に取り組みました。そして錦糸町トリフォニーホール(東京都墨田区の劇場)では、ブース空満表示・壁掛け便器・丸型洗面器・小便器手すりをつけました。中には利益の薄い案件もありましたが、自由な発想で挑戦させてくれたINAXという会社には、本当に感謝しています。 


4、日本トイレ協会・メンテナンス研究会との出会い

 日本のトイレの発展の中で無視できないのは、「日本トイレ協会」の誕生です。私は記念すべき第一回のトイレシンポジウムから参加しました。現在のメンテナンス研究会の代表でもあられます坂本菜子先生と一緒に、登壇したことが今では懐かしい思い出です。また香川県のゴールドタワー「チャームステーション」では、トイレ専門の建築家として名高い小林純子先生(日本トイレ協会理事・株式会社ゴンドラ)とも、一緒にお仕事をさせて頂きました。

 日本トイレ協会メンテナンス研究会(当会)での活動の中で印象的だったのは、バイオフィルムのことを伺ったことです(第122回・第123回を参照)。汚れの仕組みが分かりましたので、今後はこの研究を深めるべきでしょう。またトイレ設備の開発担当者とメンテナンス従事者がもっと顔をつき合わせ議論をする場面を作るべきだと思います。今後もまたなんらかの形で、みなさんとトイレ談義をしたいと思っています。

 最後になりましたが、私の人生は「トイレで始まり、トイレで終わった」と誇りに思っています。本当に楽しかったです。お世話になりました。ありがとうございました。


5、講演後…

【質問】
 A:便器の節水の可能性は、どこまでだと思いますか?
 Q:排水量の下限を定める条例の壁があり、スムーズに進みませんが、物理的には住宅用なら5リットル以下は実現できると思います。

【賛辞の言葉】
 日本トイレ協会の会長である平田純一先生も、ご出席なさっていました。
 「共にトイレ文化の発展に貢献してきた仲間として、本当にお世話になりました。桂さんの取り組まれてきた技術革新は日本が誇る『トイレ文化』とも言えます。今後は若い方に、このトイレ文化を広げてほしいと願うばかりです」とメッセージを頂戴しました。

 【メンテ研より記念品贈呈】
 桂さんの好物である芋焼酎を、メンテナンス研究会一同を代表して、坂本菜子代表からプレゼントしました。

 【終了後】
 後任の倉田さんをご紹介いただき、銀座ショールームを拝見後、送別会を開催しました。


6、感想

 私がトイレの仕事をしたいと思ったきっかけは、INAX社がトイレのイメージチェンジをした1985年ごろの話しを、大学の講義中に聞いたことでした。当時トイレは日陰の存在でしたが、「トイレの快適化が進めば社会を明るく快適にできる」ことを実践している会社の存在に、自分の夢を重ねる事が出来たからです(でも会社員には向いていないと感じ、一人で独立しましたが)。

 トイレ改善を実践してきた桂さんの話を伺い、「この人のおかげで今の私がいるのもしれない」と気付き、感謝の思いでいっぱいになりました。トイレ文化の向上と継続と伝承に、つなげなくてはならないと、改めて襟を正した定例会となりました。


(レポート担当:アントイレプランナー白倉正子)


(株)INAXのMr.トイレマンの桂真人さん。気さくな人柄が多くの方から好かれました。

「トイレの現場では、楽しい思い出がいっぱい」と誇らしげに語った桂さんの若かりし姿。

これが「カスカディーナ」です。これを背負ってよくあちこちでプレゼンなさったとか…。

86年に六本木に誕生した「XSITE」は、日本トイレ革命のきっかけ。INAXのトイレイメージチェンジの挑戦は、その後の世界に影響を与えたと言っても過言ではありません。

トイレ関連のイベントでは貴重な発表をなさっていました(中央奥/これは2000年のメンテ研50回記念イベントにて)

平田純一会長は、元(株)TOTOのトイレ開発の大御所です。巨大二大メーカーのリーダーがそろった記念すべき回となりました。

インターネット限定販売の銘柄に、ご機嫌の桂さんでした。(左が坂本代表。右が桂さん)

送別会で「桂さんは女性社員の手相を見るのが得意だった」との同僚の暴露に、みんなで大爆笑!


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